« 明治・大正・女性の輝き。 | トップページ | 昔も今も。 »

2015年5月 3日 (日)

日本帝国軍人の花嫁になったパリジェンヌ。

明治39(1906)年発行の『女学世界』をめくっていたら、
美しい女性の肖像写真をみつけました。

伊東義五郎夫人.jpg

伊東中将夫人マリーフラパーズ。

伊東中将とは伊東義五郎海軍中将、ウィキペディアによれば
この掲載の翌年1907年に男爵に列せられた明治のセレブリティー。
武者小路実篤氏は縁戚にあたるそうです。
夫人に関しては簡潔に、
妻 伊東満里子 テオドール・フラパース(フランス海軍軍人)の娘、フランス名マリ・ルイーズ・フラパース
とあるのみ。

明治時代の帝国軍人が、西洋人女性と結婚
とは、意外に感じましたが、
なんとなく明治は保守頑迷で国粋主義にこりかたまった時代
のように思い込んでいるのですが、
明治維新の大転換がありそれまでの伝統価値観が覆された
まさしく『ご一新』の激動期、
あんがいリベラルでフレキシブルだったのかもしれません。

外務大臣井上馨卿にしてからが、
西洋列強に匹敵する国力増強のために、
日本人と西洋人の混血策をおしすすめて『新しい日本人』
をつくろうと一時期本気でもくろんでおられたそうです。

明治の国際結婚といえば、民間では
ラフカディオ・ハーンやイタリア人画家と結婚して夫君の国にわたったラグーザ玉、
日本人女性の印象が強いのですが
陸奥宗光のご長男がイギリス人のエセル夫人と結婚されていますね。

NHK朝ドラ『マッサン』で、竹鶴リタさんをモデルにしたヒロイン・エリー
に扮したシャーロットさんの好演は記憶に新しいのですが、
19世紀末や20世紀初頭、
とくに欧米人にとっては未開な極東の国ニッポンに、
海をこえて嫁いだ女性たちの苦労や努力はなみなみならぬものがあったであろうと思います。

少女マンガの名作『はいからさんが通る』
で、読者のハートをつかんだ
日独ハーフで金髪碧眼の美青年の少尉、

当時は
(だってマンガだもん、実際にハーフの日本軍人なんていたわけがないよ)
と子どもながらに思っていましたが、

このマリー夫人、

そして太平洋戦争中に活躍した『青い眼のサムライ』来栖良さん
というかたの実在を知って、

あながち絵空事ともいいきれない・・・
と、逆にわくわくしてきました

『女学世界』本文では、

夫人マリー、フラパーズは仏国巴里に生まれ、今より十七年前妙齢十八歳の身を以て八重の汐路を渡り、
遥遥と今の海軍中将伊東義五郎氏に来嫁されました。
人と為り優雅誠実、良人と琴必(きんひつ)頗(すこぶ)る相和し、
四女一男を挙げられたので、家庭教育の健全精到なるは申すまでも無く、
・・・・・
夫人は婚家の初めより我邦(わがくに)夫人に親交を求めらるること熱心で、
特に赤十字社、愛国婦人会などの会務には一身をささげて働かれつつあり、
実に彼国(かのくに)の長所と我国(わがくに)の美質を兼備せられた御方と申して
宜しいのでございます。・・・・
・・・・・

扉を推開(おしひら)いて出で迎われたる夫人は、
中肉にして丈高く愛のこもれる明眸、威の備われる秀眉、締まった口元など、
希臘(ぎりしゃ)の女神像を其の儘と思わるる風姿、
房々とした金髪でなく眞髪(しんぱつ)(想像するに、ブルネット?)
は薔薇の如き双頬を引き立たせるので、紫紺色ビロードの洋服長裳をサラリと引かれ、
靴音徐(しづ)かに歩み寄られし御物腰は、天の使かと存じられたのです。
夫人の日本語は極上品で、淀みなく訛りなくスラスラして居る上に、
表情を惜しまぬ真率な話調で・・・


お世辞もあるかもしれませんが、
ルノワールが描いた名画のように美しいひとだったのでしょう

伊東義五郎は叙爵、貴族院議員と栄達の出世街道を歩みますが、
マリーさんの実人生はどうだったのか、
ご夫婦仲良く幸せな一生を歩まれたのであれかしと祈ります。

愛妻を労わり尽くし生涯かけて幸福にする、これぞあらまほしき日本男児の本懐なり


人気ブログランキングへ


本・書籍 ブログランキングへ


にほんブログ村


にほんブログ村

« 明治・大正・女性の輝き。 | トップページ | 昔も今も。 »

古本コレクション」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 明治・大正・女性の輝き。 | トップページ | 昔も今も。 »

フォト
2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

にほんブログ村

無料ブログはココログ