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2015年7月

2015年7月31日 (金)

やっと21回。

みようみまねの、チベット体操

5種類の体操を、奇数回同じ数だけくりかえし、
最終的には21回ずつできるようになる(21回をオーバーしてはいけない?)
というものですが、

まがりなりにも21回突入です。

・・・といっても、ポーズや呼吸等あやふやで、あっているのかどうか、
自分でもあやしいですが・・・

聞いたり読んだりしただけでは理解できず、
実際にやってみないとわからない(やってもわからない? 悲)
非常にのみこみの悪い性分ですから、
とにかくつづけたいですね。

20141222141526.jpg

季節がら、体操していると全身汗だくになるので
(ホットヨガみたい?)、
なんとなく、お風呂にはいる直前にする習慣になりつつあります(せこい?)。

数字をかぞえると頭がもうろうとしていやになってくる(笑)ので
回数をかぞえるかわりに「ムーミンはカバ」を
となえながらやっています。

ム・ー・ミ・ン・は・カ・バ・で・す・か

ム・ー・ミ・ン・は・カ・バ・じゃ・な・い・よ


これで21回。

くだらないですが(笑)、やり終えるとホッとして、
心身がすっきりする感じです。

20141222141601.jpg

綺麗に若返ると噂の“チベット体操”のやり方【動画で説明】


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2015年7月29日 (水)

風は南から。

20150718213546.jpg

ディズニーショップの定番、くまのプーさんのぬいぐるみ。

てざわりのやわらかい、ほわほわプーさん
20150718213346.jpg

なにげなくタグを確認すると・・・
種類はちがえどほとんどのプーさんに『MADE IN VIETNAM』とありました。

ちょっと前には、ディズニーキャラクターにかぎらず
おもちゃやおにんぎょうのほとんどが
『MADE IN CHINA』で占有されていたように思うのですが・・・
時代が換わりつつある?

ベトナム戦争の惨禍をのりこえて、産業発展いちじるしいベトナム。

手先が器用で勤勉な国民性、
中華とフレンチに南洋が合流した美味しい食文化
日本企業も多数進出して、工業国としても観光立国としても
内外から注目浴びています。

研修や人材育成のために、来日を希望する若い世代も多いのだとか。

この前買った(笑)オルガンのミシン針も、『MADE IN VIETNAM』、

オルガン針株式会社がベトナムに現地法人を設立したのは1995年、わりと最近ですね。

私がほそぼそと参加させていただいているボランティア
世界の子どもたちへ編み物作品を贈ろう』プロジェクト
もここ数年来、ベトナムの山岳地帯に手編みセーターを送っています。

今後いっそうの発展とともに、越日友好がすすんで
ベトナムがもっともっと親日国になってくださったら、とてもうれしいですね。

そして21世紀中盤は『東南アジアの時代』が到来するかなあ


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2015年7月27日 (月)

奇怪な悲劇。

屋久杉.JPG

屋久島の森で遺体で発見された内閣参事官。

台風の影響の豪雨のさなか
なぜ単独で山中に・・・?
と不可解な訃報。

白谷雲水峡は、アニメ「もののけ姫」の舞台のモデルになった場所
と伝えられる美しい森ですね。

事件性がなければ不幸中のさいわいですが、
ご冥福祈るしかありません。

内閣府参事官、遺体で発見=登山中に事故か―屋久島

 鹿児島県屋久島町の白谷川で23日、男性の遺体が見つかり、鹿児島県警屋久島署が調べた結果、25日までに身元は内閣府政策統括官兼情報保全監察室参事官の神原紀之さん(55)=東京都杉並区南荻窪=と判明した。
 当時の天候などから、登山中に事故に遭った可能性が高いという。
 同署によると、神原さんは18日から1人で屋久島を訪問。20日に宿泊先の従業員に「白谷雲水峡に行く」と伝えて登山に出掛け、行方が分からなくなった。家族が21日、同署に届けていた。
 鹿児島地方気象台によると、屋久島では20日、1日で226ミリの雨が降っており、土砂災害への警戒を呼び掛ける大雨警報が出されていた。



そして、ホイットニー・ヒューストンの愛娘の死。

若くて富裕で、このさきいくらでも楽しい人生を送れたであろうに、
お母さんが亡くなってわずか3年であとを追うことになるとは。
かわいそうでなりません。

世界的なスーパースターの両親のもとに生まれながら、
ドラッグにおぼれる両親のいさかいのなかで成長したわけで、
富と名声があっても、決して幸せな育ち方をしなかったのは想像がつきます。

バスタブで意識不明で発見されたときはすでに回復の見込みうすだった
とも報道されましたが、それでも
ほぼ半年延命したのは、若さのもつ生命力だったのでしょうか。
あまりに悲しい・・・。

お母さんのホイットニーはポップス界に燦然とかがやく
すばらしい歌をのこしてくれましたが、
光まばゆいほどに影も濃いと痛感するばかり。

天国でお母さんと再会して、永久に幸せであってほしいと願うのみです。

ホイットニー・ヒューストンさんの娘ブラウンさんが死去、22歳 


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2015年7月23日 (木)

青天の霹靂。

20130615154645.jpg

上田昭夫さんの訃報。
突然すぎて、ただ驚きました。

いつも若々しくすこやかなイメージで、
闘病中などと思いもよりませんでした。

あまりにも早すぎて、惜しまれる他界。
宿沢さん、石塚武生さん、そして上田さん
と本来ならば今後いっそうご活躍されるべき人材を
つづけてうしなった日本ラグビーの損失を思うだけで
言葉がでません。

新国立競技場の建設見直し
・・・とか、あまりよいニュースが聞こえないなかこたえます。

上田さんといえば、もう30年前の85年度慶応大学の日本一、
当時のラグビー人気もさることながら、
若きイケメン監督のさわやかな印象が鮮烈に記憶に残っています。

そして99年度の大学選手権優勝。
ついきのうのようですが、もう10数年以上経つのですね。

ご冥福をお祈りさせていただきます。


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2015年7月21日 (火)

大正の名横綱。

世界少年・大正10年.jpg

つかのま、両国国技館にゆく機会をえたおかげで、思い出しました。

『世界少年』大正10(1921)年1月号『新年特別号』に掲載された、スターの紹介記事。

世界少年・大正10年1月号・常の花関1.jpg

第31代横綱、常ノ花関が大関に昇進してまもない頃、
ニューヒーローとして脚光あびていた若き日の勇姿

世界少年・大正10年1月号・常の花関2.jpg

このかたは現在まで、岡山県出身の唯一の横綱
戦後の角界の復興と発展にも尽力されたかただそうです。

すぐ検索できる、やはりインターネットは便利

・・・丁度土俵の上では日の出の勢いの栃木山が、入れ代り、立ち代り
打つかって来る幕下の木っ端力士を、毬でも投げるかの様に
何の苦も無く手玉にとって土俵外に投げ飛ばしていましたが、
あたりをみまわし相手欲しそうに、
「オーイ、寛ちゃん、一丁」
と挑みかけますと、声に応じて彼方で
「ヨーシ、来た」
と返事を致しました。・・・


と本文中にある「栃木山」とは、
軽量ながら歴代最強と謳われた
同じく大正時代の名横綱、栃木山関と思われます。

両雄ならび立つ、相撲ファンにとってはとても楽しみな時代だったのでしょう


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2015年7月20日 (月)

熱気・両国。

台風が去った暑い暑い連休。

つかのまですが東京にあそびにいってきました。

花火でも有名な、大相撲の聖地・両国。

両国駅すぐそばの居酒屋ふうなお店でお昼をいただきました。

なんとシアターレストランよろしく、店内中央に土俵がありました
(せっかく撮ったのに、デジカメとSDカードが・・・ああ)。

家族連れの外国人のお客が、英語で店員さんに熱心に話しかけていました。

どうも、相撲の興行がみれると思って訪れたらしく(現在は名古屋場所中?)、
なんだかお気の毒でした。

20150720144144.jpg

いただいたあじのにぎり。築地魚河岸直送?

携帯で撮りました。



そして、灼熱の両国国技館。

今回のお目当ては、大日本プロレス

1249988_2166764204_54large.jpg

お父さんのスマホ画像を借りました(やっぱりきれいだなあ)。

超満員、熱気むんむん、ファンの期待を裏切らない熱戦の連続

これは第3試合の30分タッグマッチ、

金本浩二・高岩竜一 対  橋本和樹・橋本大地

ベテランと若手の好勝負。

みなさん、感動をありがとうございます。


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2015年7月19日 (日)

かなしいこと(悲)。

20150620162024.jpg

デジカメからSDカードを抜こうとしたら、

音もせず、カードが割れてしまい(長年の酷使で劣化していたのか、知らないうち衝撃加えたのか・・・)

しかも割れた欠片がデジカメ内に残って取れなくなり

泣きっ面に蜂とは、このことでしょうか

(お父さんに相談したら、ピンセットでガチャガチャやったあげく、
「電気屋さんでみてもらえ」だって。)

こんなことは初めてで、とほうにくれました

カードにはまだブログに未掲載の画像や貴重な家族写真もあったのに。ああ。
(データのバックアップは絶対必要ですね。)

安物とはいえ、もう8年もお世話になったデジカメ。

とりあえず、お店で相談だけはしてみます。

なんと悲しい。

情報弱者、機械おんちの身にはますます過酷な時代になりつつあります
(使いこなせれば、かつてない便利な時代なのですが)。

おくればせながら、ついにスマホデビューかなあ。


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2015年7月17日 (金)

豪雨。

台風は日本海側にぬけたとの報道にもかかわらず、すさまじい雨

雨の多い地域とはいえ、どしゃ降りの豪雨が勢い弱めず1昼夜ふりつづける
のは珍しいことです。

わが家は老朽家屋(笑)の木造なので室内まで湿気て陰々滅々

木炭を撒いたぐらいでは湿気とりにおいつかない・・・

そのうえ、携帯に自治体から『緊急避難勧告』メールが入り、やや緊張しました。

もっとも、避難場所に指定されている地域の小学校より、わが家のほうが高台にあるのですが・・・

結果的には、おかげさまで流されもせず家から動かずにすみました。

熊野本宮1.jpg

迷信めきますが、「天の怒り」もかくやと思うばかりの豪雨。

神々の聖地・熊野神社も浸水のうきめにあったと聞いて心配です。

国よ正しき方向に向かえとの嘆きの雨ならば、どうか神々がお怒り鎮めて
お導きくださいますように。


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2015年7月14日 (火)

ゆかたのリメイク中。

20150713172731.jpg

古い浴衣をほどいて、夏向けの半そでシャツ製作中。

衿(ふつうのシャツカラー、オープンカラー?)つけの途中です。


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2015年7月11日 (土)

講談社の絵本。

戦前、1930年代にロングセラーになったとおぼしき『講談社の絵本』。

10年ほど前に、そのうち選りすぐりの20冊が『新・講談社の絵本』
として復刊されたのは記憶に新しいところです。

講談社の絵本.jpg

『乃木大将』は古書市での掘り出し物、
復刊された『安寿姫と厨子王丸』は図書館で借りてきました
(いつもありがとうございます)。

乃木大将1.jpg

日露戦争で長男・勝典中尉、次男・保典少尉を
ともに亡くした乃木大将の悲劇。

乃木大将2.jpg

多くの将兵の犠牲のすえに、旅順陥落。

乃木大将3.jpg

明治天皇の仰せによって学習院院長に任じられた乃木大将。
初等科時代に大将の薫育をうけた昭和天皇陛下は、
『院長閣下』をお慕いになり、生涯尊敬申し上げていたとつたわります。

乃木大将4.jpg

伊藤幾久造・画
池田宣政(南洋一郎)・文。

乃木大将5.jpg

有名な乃木大将の学習院生徒への訓示。

100年以上前なので、さすがに古めかしいですが
今に通じる
というより、現代にこそ頷かされる、普遍的かつ根源的な教育。

詳しくは、こここちらを。

今暫し、むずかしいかもしれませんが
同シリーズの『東郷元帥』『広瀬中佐』とともに、復刊してほしいですね。


『安寿姫と厨子王丸』
は、須藤しげる画伯・画。

安寿姫と厨子王丸1.jpg

私がこれまでにみた『安寿と厨子王』『山椒大夫』関連の本のなかで
最も美しい絵本です

安寿姫と厨子王丸2.jpg

山椒大夫の下人としてこきつかわれながら、お互いをいつくしむ姉弟。

安寿姫と厨子王丸3.jpg

日本画を連想する艶麗な描線と
美しい色彩、和様の美。

安寿姫と厨子王丸4.jpg

自らの身はかえりみず、弟をにがす安寿。
かなしくもけなげな場面なのですが、絵巻のような美しさ。

安寿姫と厨子王丸5.jpg

80年前に、ほぼ同時期の
20世紀前半の欧米の『絵本黄金期』、
アーサー・ラッカムやデュラック、カイ・ニールセンの傑作にも比肩する
わが国の「絵本」が出版されていた誇るべき事実

未来にも語りついでゆきたいですね。


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2015年7月 9日 (木)

ストップ・後のまつり。

20150703130309.jpg

やりきれない、岩手の中学2年生がいじめで自殺に追い込まれたとされるニュース

陰湿ないじめが原因となる子供たちの死は、もう30年も前からえんえん報道されているのに
根絶しませんね。

大きく報道されたあの大津の事件も、依然
おとなたちの教訓になっていないということでしょうか。

いつも思うのだけど、
報道される事件。

担任の先生はじめ学校の対応が、いいわけしてのらりくらりとにげまわり
時間をかせぎ隠蔽するばかりで、絶望的なほど不誠実ですね。

自らを消したいほど追いつめられる被害者およびその家族がまったくうかばれない。

不思議でたまらないのが、
とおりいっぺんの反省の弁だけで現場がいっこうに改善されるようすがないこと
(またべつの小中高校で、おなじような事件とにたりよったりな対応)。

いじめをみてみぬふりしていたおとなが、
そのばかぎりでしおらしいこといったところで、
被害者家族の傷が癒えるわけもなく。

いじめた当事者たちがいちばん悪いに決まっているのだけど、

何十年もいじめによる死がくりかえされながら、
学校現場のシステムは根本的になにも変わらない、

加害者を処罰する規則(絶対必要だと思う)もなければ
法的な教職員へのペナルティもない、

あきれたことに「いじめっ子を罰する規定がないからどうしようもない」
と堂々と教員の無対応を説明する御仁までいらっしゃる。

要するに、生徒より教員を守るために
(体罰できないから子供を叱らない、問題教師を処分する権限は校長にない
良い先生がいてがんばっていたとしても昇進昇級に無関係)
無為無策、子供見殺しOK。
な無責任システムを周到に手配しているとしかみえない。
いいんですか文部科学省! !

つごうのわるいことはみてみぬふり、教師を庇うために学校ぐるみで隠蔽

バレさえしなければいくら悪いことしてもいい、
誰もとめないんだから、みんなやってるんだからいじめてかまわない。
と、子供に刷り込んでるも同然ですね。おとなの背をみてこどもは学習する!
なんと逆説的な教育(暗澹)。


もう、制度自体を改変するべき時機だと思う。

「いじめ」と分類されるけど、暴力暴言や因縁脅迫や破壊は犯罪行為。
心身ともに傷つき、通学が怖くなるほどの人権侵害は、れっきとした憲法違反
(教育をうける権利、健康に生活する権利を妨害されている)。

どうせ先生は何もできない非力な存在なら、警察の力をかりてください。

校内に防犯カメラと、即時通報可能な通信機器設置。

ついでに、いじめによる死者がでた学校の管理職および担任は即時懲戒免職。

実施してもぬるいくらい、
現行の教育委員会や学校組織を解体して、再編しなければいけない時になっていると思います。

メディアにも違和感あり、

いじめに苦しみながら生きているあいだは、みなみてみぬふり
で誰も助けてくれなかったのに、
亡くなったとたんにマスコミがとびついて世論の嘆きをかきたて
センセーショナルに報道するのをくりかえしていると、

いま現在この瞬間もいじめでつらい思いしている子が、
「自分も死んでしまえばこんなにみんなが気にかけてくれるんだ」
と解釈して、生きる希望を失う悲しい結果を誘引しないでしょうか
(もしかしてそれを煽っている?)。

「あとのまつり」は絶対にいけません。
思いつめる前に、なんとか助けたい、その方法こそを、おとな全員で考えなくては。

岩手のニュースのように、

思いやりのある優しい子が、
(だからこそ)いじめグループに目をつけられ痛めつけられて
絶望の果てに死を選択する、あってはならないことです。

えげつない事件が起こるたびに
「(犯罪者の)人権ガー」「未成年の更生の機会ガー」「少年法ガー」
と喧しい、人権派の皆さま。
加害者の人権にすら配慮するひろい心をおもちなら、
どうかまず被害者を率先して救済してください。
本当に助けねばならない、優先して応援すべき人をないがしろにして
さかんに人道を訴えるのは欺瞞でしかないと思います。

「いじめ」という殺人 加わった「犯人」たち

岩手県中2男児自殺 学校の隠ぺい体質

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親御さまたちへ。

お子さんがなやんでいるそぶりがあれば、
どうかまず、寄り添ってじっくりと話をきいてあげてください。

万が一深刻ないじめがあれば、しばらく学校を休むのもありです。

残念ながら、学校はせまい遮断された世界。
良い先生や友人に恵まれればそれにこしたことはないけれど
偶然の要素が大きいので、「はずれ」もありえます。

貴方はなにも悪くない。
なにがあっても、ぜったいに(親や家族は)貴方の味方だよ。
と、しっかりくりかえし伝えてあげてください。

そのうえで必要なら、転校も視野にいれる。
学力をやしないキープできる塾等をさがす、
法律のプロに相談する
等々、お子さんの居場所を確保することふくめて対策をたててください。

本人の「やる気」さえあれば、進学や資格取得はなんとでもなります(ほんとうです)。

わが子を護れるのは、親しかいません。


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2015年7月 6日 (月)

タロコのおとめ。

台湾有数の観光スポットとして名高い、国立公園・太魯閣国家公園

絶景の太魯閣峡谷は、ヒーリング・スポットとしても大人気で、
世界中から観光客が訪れるようです。

今をさること約80年前。

昭和11(1936)年9月号の『主婦之友』
に、なんと当時の地元の若い娘さんたちの座談会が収録されています。

タロコのおとめ1.jpg

ウィキペディアには、

日本の台湾領有後、山地原住民は「生蕃」(後述)と呼ばれ、
領台40年後の1935年昭和10年)に秩父宮雍仁親王の要請において
公式に高砂族(たかさごぞく)と改称された。

とありますが、
1936年の『主婦之友』ではまだ『生蕃』と記されていますね。

取材に訪れた記者は、
集まった娘さんたち
まず伝統衣装の民族舞踊、
ついでゆかたに着がえて日舞
のおひろめで歓迎され、
その達者なことに瞠目したようすが語られています。

タロコのおとめ2.jpg

カラーでみたい、伝統衣装。

元来台湾に住んでいる人たちは
ポリネシア系の民族で、褐色の肌に黒曜石のひとみ、
まさしく『南洋美人』。

タロコのおとめ3.jpg

彼女たちはゆかたが好き、
伝統の織の粗い着物にくらべて
日本の着物は肌触りがよく、かるくて快適だといいます。

タロコのおとめ4.jpg

地元駐在の役人や警官の夫人たちが
裁縫の先生になってゆかたの縫い方を教わり、
着付けもマスターしたのだとか。

簡単服(当時流行のアッパッパ、いまのチュニックワンピースのような感じ?)
を町で買ってくる人もいたようですね。

タロコのおとめ5.jpg

このころは、幼いうちに伝統の入墨をする風習がふつうにあったのですね。
そしておしゃれに気をつかう若い人にとって決してよい習慣ではなかった事がつたわってきます。

タロコのおとめ6.jpg

上の画像・右の山月橋、
いまもタロコ名物でしょうか。

左は写真が小さくて恐縮ですが

『警官に敬礼するタロコの少年達』

・・・教育所の屋根を葺く草を取りにいっての帰り道です。
警官はお髭の深城忠一氏、タロコの青年男女から
慈父のように慕われている人。


・・・と、あります。

タロコのおとめ7.jpg

乙女たちの理想の夫君は・・・

元気でよく働く人。
心の優しい人。
お酒を飲んで怠けたりしない、規律正しい人。

そのまま、現代にも当てはまりますね。

と同時に、当時はまだ内地の日本人、現地人
の明確な差別があり、口には出さないけれども
彼女たちも身にしみて感じている、切ない気持ちが思いやられます。

タロコのおとめ8.jpg

そして統治者側の現地啓蒙政策への努力。

産婆さん、今でいう助産師の講習をうけるのが
お嫁入り前の娘さんたちの一種のステイタスであり、
年若い乙女がりっぱに助産師を勤め上げる、

記者いわく

・・・レベフさんは、そんなに上手な産婆さんで、
頭脳もよいし、重い荷物を背負って7里の山坂を歩いても平気なくらい
身体が丈夫だし、そのうえ、ハーモニカを吹いたり、
『酋長の娘』を歌ったりする朗らかさもあるし、
ほんとに、いいお嫁さんになれますよ


おっしゃるとおりで、

有能で頭脳明晰、気立てがよくて明るくて、
働き者で峡谷で鍛え上げた健康美、

これだけ非の打ちどころの無い女性は、
どんなに望んでもめったに見つかりそうにないですね
(あえてイメージするなら、なでしこジャパンの皆さんがそれに近いかなあ)


さらに、素直な気立てに「芯の強さ」をかねそなえた乙女たち。

タロコのおとめ9.jpg

タロコのおとめ10.jpg

実母が「子」より「恋愛」を選択するのを許し、
幼い妹たちの養育をうら若い乙女の身でひきうけて
いっしんに働くアッパイさん。

親に決められた「家」どうしの婚姻に反発、
覚悟して自分の意志を通し結婚破棄、
請求された慰謝料も一括返済したイワルさん。

記者は

「どちらも、よい意味でのタロコの新しい女であり、先覚婦人」
「花も実もある立派な大和撫子」


と、絶賛しておられます。


往年の台湾をしのばせる、泰弘さまのすばらしい記事です。
ぜひごらんください。

日本統治時代の台湾風光・・

泰弘さま、リンク引用こころよく許してくださりありがとうございました。

泰弘さんの〔追憶の記〕です・・・


現在も、世界有数の親日国・台湾。
わが国を好きであってくださるのは、とてもうれしいですね。

『主婦之友』誌上の座談会はなごやかですが
この後の第二次大戦、
戦後、大陸を脱出した国民党の統治
と、時代の大激動、
とうぜん彼女たちの人生にも大きく影響したことでしょう。

80年前の乙女たち、
その子孫の皆さんが、
当時よりいっそう幸せでありますようにと祈ります。


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2015年7月 1日 (水)

『もの』より思い出・続々

かつて実家にあった、母のミシン。

実家を引き払う家内一掃のとき、
処分してしまったのが今となってはくやまれます

ちょうど暑い時期でもあり
当時は、乳幼児の世話に追われてへろへろ(笑)
で、取捨選択のゆとりもなかった、
旧式な足踏みミシン(何十年も置きっ放しだったので要メンテ)
を使いこなすすべもありませんでした。

たぶん1960年前後に新発売の、最新式ジューキのミシン。
いかにも最新機器という感じで、
メタリックなブルーグレーの円筒形のボディー、

従来の直線縫い専用ではなく、ジグザグ縫い
やカム交換で多彩な飾り縫いができるタイプのはしり、だったかと記憶しています。

思い出のミシン1.jpg
吉田元先生の名著『裁縫ミシン』より。

ロータリー式天びんとは、
当時ジューキが採用した画期的な仕組みで、
高速縫いの機能が求められる工業用ミシンでは、
ハイスピードのうえ振動少なく縫い目の美しい、
パワフルなミシンの開発に成功したのだそうです。

思い出のミシン2.jpg

家庭用ミシンでは、残念ながら上糸かけが
かなり複雑でむずかしく、

思い出のミシン3.jpg

縫製のプロまでゆかなくても
器用なかたならどうということないのでしょうが、

思い出のミシン4.jpg

母や
まして私ごときには、まったくお手上げでした・・・。

が、工業用・家庭用ミシンともに
当時日本が世界に誇る最新鋭機種だったことにまちがいはなく、

もしいまふたたび入手できるものなら
うんと使ってかわいがってやりたい・・・
気持ちはあります
(ミシンのほうで願い下げかもしれませんが)。

いま現在もメンテナンスして愛用しているかたがいらして、
同タイプの機種が日本のどこかで今日も活躍している
と知るだけで、とてもうれしくなりますね


こここちら、このかたのブログ記事
もぜひご参照ください。

わが家のジューキミシンは、キャビネット型、
つまりボックス収納できるタイプのミシンでした。

ものより思い出1.jpg

河出書房新社刊・『団地2DKの暮らし』より。

このように、ミシンを使わないときは椅子ともども収納して
ボックスの戸をしめれば、小ぶりの棚のよう。
(わが家のジューキミシンは、ずっとこのままテレビ
をつとめていました。
さらわれたお姫さまが下女奉公させられているかのようなおいたわしさ・・・
・・・ちょっとちがうか)。

ものより思い出2.jpg
河出書房新社刊・『図説 東京流行生活』から。
やはりキャビネット。

昭和30~40年代、団地がふえて
都市生活の住宅事情がコンパクトになった時代のニーズを感じます。
いわゆる過渡期で、やがてよりコンパクトな電動ミシンが主流になり、
家庭で服を作る必要性もなくなって
現在は(一般家庭では)使うとき以外は押入れにしまっておける手軽なミシンが
ほとんどかと思われます。

結局、私は古いもの好き
というより、(新しいことがおぼえられないので(^^;))
自分がなんとかほそぼそと使いつづけることのできるもの
がすきなのかもしれません。


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