紛失したナイフの話。
ふと思い出したこと。
子供のころ読んだ
児童文学全集に載っていた短編です。北欧の話だったとおぼえています。
主人公(名前わすれた)は10歳前後とおぼしき男の子で、うちは農家。
・・・繁忙期が終わって農家を去ることになった季節労働者の男性(「ベドゥネ」という名前だったかも)
から、餞別にナイフをもらう。
ベドゥネのナイフの切れ味はすばらしく、夢中になる男の子。
ところが初雪のころ、子供たちのグループが山に遊びに行ったとき、
ちょっと目を離したすきに幼い弟が好奇心でナイフを持ち出し、
仲間と走り回っているうちに、崖の斜面の隙間にうっかりナイフを落としてしまった。
狭い隙間は雪と氷に閉ざされて、とても拾えない。
宝物だったナイフをなくしてがっかりする男の子。
やがて気を取り直し、
自分の家やご近所の農家のてつだいをした手間賃や
祝日にもらうおこづかいをためて新しいナイフを手に入れようとする。
しかし、村の鍛冶屋にオーダーしたナイフも
街のショーウィンドウであこがれた新品のナイフも
手に入れてしばらくたつとありきたりのつまらないナイフでしかなく、失望にとらわれる。
ベドゥネのナイフのスラリとした刃の輝き、
切れ味のすばらしさ。
・・・時間が経つにつれて失われたものの理想的なイメージはどんどんふくらみ、
しかも求めて得られない諦観も大きくなってゆく。
1年半がたち、やや大きくなった男の子は友人と初夏の山歩きをしていた。
ナイフをなくした思い出の場所にさしかかり、
雪と氷がとけて例の隙間が浅くなっていることに気づく。
(いまなら、ナイフが取れるかもしれない)
友人に協力してもらい、崖の隙間深くに落下しないように
お互いの腕をロープで結わえて
男の子は隙間の入り口にしがみつき、
友人は隙間の奥に入り片手をのばした・・・
「あったぞ」
ナイフをつかんで隙間からはいだしてきた友人のはずむ声。
しかし。
イメージしていたよりずっと貧相な、友人の手にしたナイフにあぜんとする男の子。
刃も柄も小ぶりで、刃先はまるでなまくら、
他の周囲にあるナイフとくらべても、ありきたりの代物でしかない。
「・・・どうして、これがぼくのなくしたナイフなんだい」
思わず口をついて出た言葉に、笑い出す友人。
「自分のナイフがわからないなんて、どうかしてるよ。
きっと葉っぱのかげになってたんだよ、ほら
柄の模様なんかもあまり色おちしてなくて、きれいじゃないか」
・・・そこで、見覚えのある柄の絵の模様に気づく男の子。
そう、この貧弱なナイフはたしかにベドゥネにもらったナイフだった。
・・・風化して理想化された記憶のなか
のベドゥネのナイフの魅力にまるでおよばないことに
憤慨して、仲間と物々交換したり、こづかい銭のかたに売ったナイフたち、
『かつて鍛冶屋につくってもらったナイフのほうがずっと良かった。
街のお店で買ったナイフだって、それにおとらず立派だった。
・・・ところが彼は、この世のどこにもない、すばらしいものに
あこがれ恋い焦がれて、夢中になっていたのだ』
『その日、彼はなにもなくしはしなかった。
それでも彼は、やはりなにかをなくしたといってよかった。
あの場所で見つけさえしなければ、ベドゥネのナイフはいつまでも
彼の心のなかで美しくかがやきつづけていただろうに』
うろおぼえなので細かい部分はちがっているかもしれませんが、こんな内容とエピでした。
ううん、深い。
じつは子供のころ読んだ当時は、私があまりに「お子ちゃま」(笑)
だったので、なんのことか意味がよくわからなかったのですが・・・
年をとったいまは、いっそう身につまされます。
深刻なことからささいなことまで、私たちの身の回りになんと多くの
「なくしたナイフ」があることか。
過去やなくした「良いもの」にとらわれるより、
「いまあるもの」にこそ、感謝して日々たいせつに生きたいですね。
といいつつ、なかなかそれができないのも人情ではありますが。
古い本に載っていたお話で、タイトルも作者名もわかりませんでしたが、
ありがたくもネットの検索で発見しました。
「もらったナイフ」の邦題だったのですね。
この児童向き選集、残念ながらわが家の最寄りの図書館にはありません。
発刊当時の好企画、
おもちのかたは、どうか愛蔵なさってください。
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