すばらしき先人たち。
1938(昭和13)年5月号『家の光』220ページより
(画像上部が切れていますが・・・)
やさしい兵隊さんと支那の孝行娘
・・・香川県木田郡平井町の高木彌太郎さんのもとへ、
北支の志渡勇一さん(写真の兵隊さん)から、写真といっしょに、
次のような手紙が来ました。
「自分(兵隊さん)の抱いている支那の女の子は蘭琴(らんきん)といって、
8歳になりますが、家が大へん貧乏なうえに、お父さんはリューマチスで
三、四年前から働けなくなり、お母さんはこのあいだ赤ちゃんが生まれて、
まだ寝たきりなので、蘭琴がたった一人で働いています。
自分はご飯の残りや、支那のお米などを蘭琴のところへ持って行ってやったり、
ひまの時には日本語を教えてやったりしています。
蘭琴も自分をたよりにしてくれますし、自分も妹のように思います」
時あたかも日支事変たけなわ。
やさしい兵隊さんは、けなげな女の子に
郷里の弟妹やわが子の面影を重ねていたのでしょうか。
1942(昭和17)年3月号『少年倶楽部』より
兵隊さんとマレーの子供 加藤まさを画
・・・強くてやさしい日本の兵隊さんたちは、早くも南方共栄圏の人たち
と仲よしになっています。
やしの葉かげに戦車をとめて、汗をふいている兵隊さんたちのところへ
マレーの子供たちが、水のしたたるような、おいしい果物を持って来ました。
『ほう、こりゃうまい』
兵隊さんたちもニコニコ、子供たちもニコニコ。
米英の手にいじめられていた南方の人たちも、皇軍のおかげで、
生まれかわったように明るく、ほがらかになりました。
美化はあるにせよ
実際にこのような感じだったのでは。
そして日本軍と接した東南アジア地域の子供たちは
やがて成長して植民地支配からの独立の機運に目覚めた
・・・と、言えなくもないかも。
1942(昭和17)年4月号 『少年倶楽部』より
日本武士道に敵兵も泣く 田中良 画
・・・マレー戦線におけるわが軍の進撃が、
あまりに急であったので、英豪軍は、戦友の死体をかたづける間もなく
逃げ去った。
わが田村少尉の部隊では、これら無名戦士のため、
バト・バハの町はずれにある美しい緑の岡に、
土饅頭をもって、その上に十字架の墓をたててやった。
やがて、墓参をゆるされた英豪軍の捕虜たちは、わが勇士とともに、
戦友の霊に心からの祈りをささげたのであった。
墓標には、日本字と英語で、『英豪無名戦士之墓』ときざまれている。
そばには彼らの使った小銃が叉銃され、バラの花が二輪そえられている。
これがあれほど勇猛だった日本軍人であろうか。
捕虜の中には、皇軍の情けにたまらなくなって、聲をあげて泣きだす
者もあった。
世界一強い日本軍は、また世界一やさしい心をもった軍隊であることを、
彼も心の底から知ったことであろう。
戦後、日本の美談、感動的なエピソードは
悉く抹消され、
これでもかと父祖をおとしめはずかしめる戦勝国プロパガンダで
義務教育までもが塗り替えられてしまいました。
戦後80年。
すでに長い歳月が経ちました。
ただお国のために、がんばってくださった
先人のみなさまを尊敬感謝こそすれ
さげすまねばならない必然性は、皆無。
そしてよりいっそうの平和と繁栄のために
いまこそ日本が覚醒しますように。
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